JAおとふけ

組合員向け情報

小豆

小豆

漢方薬にも使われる

 小豆の外皮には、サポニンという利尿作用のある成分があり、腎臓病や心臓病などによるむくみを解消してくれます。また同じく外皮には、食物繊維を豊富に含んでいて、便秘などに効くほか、心疾患、動脈硬化、糖尿病、大腸ガンなどの予防に効果があります。どれも小豆の外皮部分なので、外皮をすっかり取った「こしあん」では効果がなくなりますので、あんこならばなるべく「粒あん」を食べるようにしたいです。これ以外にも、ビタミンB1をたっぷり含んでいて、疲労物質をとってくれる働きがあるので、疲労回復に効果があります。

しょうずとあずき

 農家の人は、小豆を大豆(だいず)と同じように「しょうず」と呼びますが、一般的には「あずき」と呼ばれています。これは白いお米に赤い色をつけることから「あかつき」と呼ばれ、転じて「あずき」と呼ばれるようになったからと言われています。日本人は古くから「赤」という色に特別な思いを持っていて、赤い色は魔力を秘めていると考えられ、不幸の厄払いに使われてきたことから、儀礼の時には欠かせない食べ物になったようです。

音更小豆のこだわり

【音更小豆】

北の大地ではぐぐまれ、寒暖の差によりじっくりと仕上がった「小豆」。
音更小豆の集荷数量は、約70,000俵。
現在、良質な小豆が集荷されています。
音更では、生産者が持ち込む小豆をトラック1台ごとに農産物検員資格者が検査・買い取りします。
等級ごとに仕分け集荷した小豆を選別ラインを駆使して調整、最新の低温貯蔵庫で保管し品質管理を徹底しています。

【限定「おとふけ」】

豆に最も適した、自然条件で「音更の豆」は栽培されています。音更開墾の頃から作付けされてきた豆類は、音更の気候風土を最大限に生かした栽培技術を確立してきました。

【生産者と調整者のこだわり】

「音更の豆」にこだわっているのは、生産者だけではありません、豆の製造に係わる職員も長年培った選別・調整技術にプライドをもって限定「おとふけ」を造ります。

匠が認めた音更の小豆

みなさんは音更で穫れた農産物が、どのような流れを経て食べられているのかご存じですか?
今回は音更の澄んだ空気によって育てられた「小豆」に注目してご紹介します。

塩瀬総本家「志ほせ饅頭」

塩瀬総本家「志ほせ饅頭」

塩瀬総本家 代表取締役会長
▲右が塩瀬総本家 代表取締役会長の 川島英子氏左は代表取締役の川島一世氏

塩瀬総本家とは、日本で初めて饅頭を作ったとされる和菓子の老舗です。塩瀬で作られる銘菓の数々は、全てが手づくりで、その技術は暖簾とともに職人から職人へと代々受け継がれてきました。機械化による大量生産があたりまえになってきているこの時代に、今も尚、熟練の職人によって手づくりの製法を守り続けることが、塩瀬の暖簾を守ることであり、それこそが『匠』と言われる由縁です。
 中でも、銘菓「志ほせ饅頭」は甘すぎず、上品な味わいが特徴で、多くの人々に不動の人気を得ています。

 塩瀬の歴史は、今から約650年前までに遡ります。始祖となる林淨因が、肉食が許されない僧侶のために小豆を煮詰め、甘葛の甘味と塩味を加えて餡を作り、皮に包んで蒸し上げた物を売り出したのが始まりです。これが日本で最初に作られた饅頭だと言われています。
現在、その饅頭の歴史と伝統を支えているのが音更産の小豆です。20年以上も前に塩瀬総本家現当主川島英子氏のご主人が、北海道の友人の紹介を経て音更の小豆と出会います。以来、塩瀬で作られている饅頭の餡は音更産小豆のみ。いっさい他産地の小豆を混ぜることのないこだわりぶりです。
音更産の小豆は皮が柔らかく、炊きあがりが早いのが特徴です。特にエリモショウズは、餡の風味が良いことから、多くのお菓子職人から人気を得ています。塩瀬が製餡所で試験を行った際にも「こんなにいい小豆を他で使っているところはない」と、製餡所の所員たちが絶賛するほどの評価を得たそうです。
食品偽装問題が相次ぎ、食の「安全・安心」が注目される今、音更の小豆は匠の手によって確かな物へと変化していきます。あくまでも昔からの手づくりにこだわることに加え、徹底した衛生管理にもこだわりをもつ塩瀬では、偽装問題を引き起こすことはあり得ません。また、手づくりだからこそ、他に類を見ない風味豊かな餡が産まれるのです。
日本で小豆の栽培が本格的になったのは明治以降と言われています。十勝では明治30年代後半から大正初期にかけて小豆栽培が本格的となり始めました。
現在、全国生産量の80%を占める北海道。そのなかでも音更は有数の小豆産地です。澄んだ空気ときれいな水に囲まれ、柔らかな陽射しに包まれながら音更の小豆は育まれています。その肥沃な大地で作られる音更の小豆を、いつまでも匠から認められる存在であり続けたいと思います。

製造工程

塩瀬総本家についてもっと知りたい方はこちら!
http://www.shiose.co.jp/
●商品のお買い求めも出来ます

宝永4年創業の伝統と品質を今に伝える

みなさんは音更で穫れた農産物が、どのような流れを経て食べられているかご存知ですか?
今回は、音更の澄んだ空気によって育てられた「小豆」に注目してご紹介します。

赤福

赤福

三重県伊勢市は、伊勢神宮の門前町として発達した町で、「神都」とも呼ばれます。江戸時代には「お伊勢まいり」の町として多くの参拝者が訪れ、現在も伊勢志摩の中心地です。
伊勢神宮には、太陽を神格化した天照大御神(あまてらすおおみかみ)を祀る皇大神宮(こうたいじんぐう)と、衣食住の守り神である豊受大御神(とようけのおおみかみ)を祀る豊受大神宮(とようけだいじんぐう)の二つの正宮が存在し、一般に皇大神宮を内宮(ないくう)、豊受大神宮を外宮(げくう)と呼びます。
伊勢神宮内宮は、近鉄宇治山田駅から車で約15分、内宮前のおはらい町に赤福本店はあります。

 赤福は、今から300余年前の宝永4年(一七〇七年)に創業され、現在の赤福本店は明治10年に建てられました。
「赤福」の名は、「赤子のようないつわりのないまごころを持って、自分や他人の幸せを喜ぶ」という意味がある「赤心慶福」の言葉から名付けられたと言い伝えられています。

 明治44年、明治皇后陛下の昭憲皇太后様が、宮参拝の折に赤福餅を注文しました。しかし、当時の赤福は黒砂糖餡で皇后陛下のお口に合わないのではないかと案じ、白砂糖餡の特製品を献上し、これが現在の赤福餅の原点となりました。

 赤福餅に音更産小豆が使用されるようになったのは、昭和50年代のこと。問屋の紹介で知った音更の小豆を、餡にして餅とあわせたところ「赤福餅」の味によく馴染み、小豆の粒ぞろえの良さからも使用される事になりました。赤福では、餡を途切れさすことの無いように、道内の他産地の小豆も使用し、それぞれはブレンドせずに収穫期の早い順に使用しているそうです。

 赤福本店の店先には朱塗りの竈があります。毎朝5時の開店前に薪をくべてお湯を沸かし、番茶が振舞われます。本店・直営店でのみ食べることが出来る盆(赤福餅と番茶のセット)は、その場で、熟練の職人の手により作られます。
つくりたてのお餅の柔らかさは格別です。
また、本店・直営店のみで楽しめる、夏期限定の抹茶蜜のカキ氷に特製の餡と餅が入った赤福氷や、冬期限定の赤福ぜんざいもあります。
さらに、元旦を除く毎月1日には、季節ならではの餅菓子「※朔日餅」が販売され、地元だけでなく遠方からも訪れるという人気の一品です。

※朔日餅(ついたちもち)…伊勢には古くからのならわしで、毎月1日に普段より早く起きて、無事に過ごせた1ヶ月を感謝し、次の月の無事を祈る「朔日参り」があり、この朔日参りのお客様をお迎えするために作り始めた餅のこと。

餡(あん)の歴史

餡は、推古天皇の時代に遣隋使などが送られた頃に、中国のお菓子と一緒に伝わったとされています。当時の餡は、豆から作るものではなく肉や野菜で作られた中華の肉まんの中身の様な物でした。肉を食べない風習の当時の日本において、肉の代用品として豆が用いられ、その後小豆と砂糖から作る餡、すなわち“あんこ”となりました。庶民が口に出来るようになったのは江戸時代で、お菓子屋さんの工夫で色々な商品が生み出され多彩な形で楽しめるようになりました。

製造工程

株式会社赤福

株式会社 赤福
お問い合わせご注文は
住所:三重県伊勢市宇治中之切町26番地
電話:0596-22-2154
お客様相談室:0120-081-381
http://www.akafuku.co.jp/

※赤福餅は生菓子のため、発送からお届けまでに2日以上かかる北海道十勝地方などの地域には、配達することが出来ません。(配達可能地域については、ご確認下さい。)
お近くに行かれた際は、ぜひお立ち寄り下さい。

小豆本来の味を生かすため初代の製法を忠実に守り続ける

みなさんは音更で穫れた農産物が、どのような流れを経て食べられているのかご存じですか?
今回は音更の澄んだ空気によって育てられた「小豆」に注目してご紹介します。

新鶴本店「塩羊羹」

新鶴本店「塩羊羹」

河西正一代表取締役社長と奥様
▲5代目 河西正一代表取締役社長と奥様

諏訪湖や諏訪大社など、自然と歴史の町として知られる長野県諏訪 JR下諏訪駅から歩いて約10分の所に諏訪大社下社秋宮があります。 諏訪大社は、諏訪湖の周辺に4か所の境内地(上社本宮、上社前宮、下社春宮、下社秋宮)を持つ神社で、全国各地にある諏訪神社総本社であり、国内にある最も古い神社の一つとされています。
 その諏訪大社下社秋宮のすぐ隣に「新鶴本店」はあります。
 明治6年の創業以来、下諏訪名物の塩羊羹を作り続ける老舗の和菓子店です。
 海のない信州では、昔から塩は何物にも代え難いものであり、塩の使い方・味わい方にも思い入れが深く、塩の持ち味を引き立てるための絶妙なさじ加減を自然に身に付けていったそうです。
 「新鶴本店」は明治6年、諏訪大社下社秋宮脇に、幕末の志士画人天竜道人の屋敷を受継ぎ「中山道御菓子処新鶴」の看板を挙げたのが始まりです。
 初代の河西六郎さんが羊羹に塩味を加えることを思いつき、砂糖と餡のなじみ具合、寒天の折り合いに苦心しながら、丹念に練り上げるうちに、絶妙な口当たりを生み出したそうです。
 創業から130年以上経った今でも、初代の製法を忠実に守り、楢薪を焚いてひと鍋ひと鍋丁寧に練り上げられます。新鶴の塩羊羹は“ほんのりと塩味がきいて、ひかえめで上品な甘さと優しい口当たり”が地元だけではなく観光客に大変人気で、和菓子には珍しく、男性客が多いそうです。
 名物の塩羊羹の他にも季節限定の生菓子も作られていますが、中でも、毎朝杵でつかれる餅になめらかなこしあんが入った「もちまんじゅう」は、お昼には売り切れてしまうという知る人ぞ知る人気商品です。
 平成17年より新鶴本店の商品には音更産小豆が使用されています。音更産小豆は、粒ぞろえが良く、煮えむらが無いので職人達にも評判が良く、新鶴で作られている和菓子全てに音更産の小豆が使用されています。
 「小豆本来の味を生かすには、同じ手法を守り続ける必要があります。店の規模は小さいけれど全てに目が届き、消費者に美味しいものを届けていきたい」と代表取締役社長の河西正一さんは言います。

羊羹の歴史

餡は、推古天皇の時代に遣隋使などが送られた頃に、中国のお菓子と一緒に伝わったとされています。当時の餡は、豆から作るものではなく肉や野菜で作られた中華の肉まんの中身の様な物でした。肉を食べない風習の当時の日本において、肉の代用品として豆が用いられ、その後小豆と砂糖から作る餡、すなわち“あんこ”となりました。庶民が口に出来るようになったのは江戸時代で、お菓子屋さんの工夫で色々な商品が生み出され多彩な形で楽しめるようになりました。

製造工程

新鶴本店の塩羊羹は、店舗展開をせず、店頭販売かお取り寄せでしか買うことが出来ません。

全国発送しています お問い合わせ・ご注文は
■住所:長野県諏訪郡下諏訪町3501
■電話:0266-27-8620
■FAX:0266-27-0825
http://www.shinturu.com/

職人の技と音更産小豆との絶妙なコラボレーション

みなさんは音更で穫れた農産物が、どのような流れを経て食べられているのかご存じですか?
今回は音更の澄んだ空気によって育てられた「小豆」に注目してご紹介します。

黒鯛「たい焼き」

黒鯛「たい焼き」

代表取締役 渡邊明彦氏
▲代表取締役 渡邊明彦氏

オシャレな街並みと閑静な高級住宅街をあわせ持つ街、東京の代官山。駅から歩いて5分程度の裏通りに「代官山たい焼き黒鯛」はあります。
 代表取締役の渡邉さんのたい焼き好きが高じ「誰もが驚くようなたい焼きを作りたい」という一心で、平成19年10月「代官山たい焼き黒鯛」を創業しました。
 「代官山たい焼き黒鯛」の名前は、竹炭と黒ゴマを使用した黒いたい焼きから由来し、代官山の高級感と落ち着いた雰囲気によく合います。
 創業当時、東京都内にはまだ、たい焼き専門店は少なく、「日本一カッコいいたい焼き屋さん」を目指し、若い人から年配者まで幅広い年齢層が好むレシピを試行錯誤していました。
 小豆は、十勝産を求め十勝管内の各JAから取り寄せて、試してみたところ、音更産の小豆が一番「代官山たい焼き黒鯛」が求めていた味に合ったこと、また、小豆の安定した供給量と均一化された品質が決め手となり、音更産小豆が採用されました。
 たい焼きの種類は、プレーン、抹茶、ゴマ、季節限定の1種類に加え、たい焼きをのせたソフトクリームも販売されています。
 平成21年11月にはルミネ新宿店をオープン。12月にはフランチャイズ契約で韓国にも出店しています。現在、韓国では7店舗を展開していますが、材料は現地のものを使用しているそうです。
 約5坪の店舗(本店)で焼かれるたい焼きは、強火で長時間かけて焼き上げるパリッとした皮と黒糖を使ったつぶ餡はほんのり塩が利いて甘さ控えめです。餡の中に入っている白玉だんごとの食感も幅広い年齢層に好評を得ています。お客の約7割が20代と和菓子にはめずらしく若者に人気があります。
 取材したこの日も、広島から訪れたという2人に出会いました。
 「毎年この時期に東京に来て、必ずたい焼きを食べてるんですよ」と笑顔で話してくれました。
 こだわりの職人がつくる「代官山たい焼き黒鯛」は、地元だけではなく全国の人達に愛されています。
 「うちのたい焼きは甘さ控えめなので、餡が苦手な人でも食べてもらう事ができます。音更の小豆で、これからも品質を下げずにおいしいたい焼きを作り続けていきたい」と渡邉さんは話します。
 音更で穫れた小豆が職人の技によって、様々な形に姿を変え、多くの人々に愛され食べられているという事は、大変誇らしいことだと思います。
 これからも音更産の小豆と全国各地のこだわりの職人たちとの絶妙なコラボレーションによって、消費者の人達に親しまれているお店をご紹介します。

たい焼きの歴史

たい焼きは、今川焼きが変化したものです。
 江戸時代(1780年頃)に、江戸・神田の今川橋付近(現在の千代田区鍛冶町1丁目と中央区日本橋室町4丁目を結んでいた橋)の露店で販売された焼き菓子が「今川焼き」として全国各地に広がりました。
 明治42年(1910年)に、東京都港区麻布にある浪花屋総本店の初代神戸清二郎が「今川焼き」をより親しみやすく、おめでたい形にと、鯛の形にすることを思いついたのが、現在の「たい焼き」の始まりです。
 この時代、鯛と云えば高級魚で、庶民の手に届かない代物でした。本物の鯛を食べられなかった庶民が、贅沢品として楽しんだ「たい焼き」。焼き方や餡の種類は変わっても、いつの時代にも、愛され受け継がれました。

冷凍たい焼き
全国発送しています。

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■住所:東京都渋谷区代官山町13-8
キャッスルマンション代官山(本店)
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